Author: Yohtaro Takano(高野陽太郎)
Title: “Cultural Stereotype and Its Hazards: ‘Japanese Collectivism’ as a Case”
Book: Cambridge University Press, 2025
ISBN: 978-1-108-83320-2
DOI: https://doi.org/10.1017/9781108973625
URL(Cambridge University Press のブログ):
https://cambridgeblog.org/2024/11/culture-is-destiny/
Email: takano[at]L.u-tokyo.ac.jp([at]を@に変更してください。)
本書では、まず、「集団主義的な日本人」というステレオタイプが現実をどのように歪曲しているかを検討します。そこで得られた知見を踏まえて、文化についてのステレオタイプ的な認知を理論的に分析し、それがどのような危険を孕んでいるかを明らかにします。
日本文化論では、日本人は「個性がない」「つねに集団に従う」といった集団主義的な特性を持っているとされ、このイメージが世界中に広まっています。本書では、そのイメージが事実かどうかを調べるために、日本人を「世界で最も個人主義的」とされてきたアメリカ人と比較した実証的研究(調査・実験)49件を総覧しました。それらの研究は、全体としては、集団主義の程度には日米間に差がないことを示していました。日本文化論は、事例(エピソードや諺など)を主な根拠としてきましたが、多数の(社会的、歴史的)事例を調べた結果、日本人の個人主義的な行動、アメリカ人の集団主義的な行動の例はいくらでも見つかることが判明しました。
日本経済は集団主義的な特性(例:「日本的経営」「系列」など)をもっていると言われてきましたが、経済学の実証的研究や経済統計を調べたところ、こうした言説は事実に反していることが明らかになりました。日米貿易摩擦の時代には、集団主義的な日本経済(特に「非関税障壁」)がアメリカの巨額の貿易赤字の原因だとされていましたが、当時、一人あたりの輸入額でみると、日本人が購入していたアメリカ製品の金額は、アメリカ人が購入していた日本製品の金額とほぼ同等でした。アメリカの巨額の対日貿易赤字は、アメリカが日本の倍の人口をもっていたという単純な事実の結果にすぎなかったわけです。
文化ステレオタイプを分析すると、文化を固定的に認知する4つの基本的な想定(「不変性」など)が明らかになります。しかし、心理学や歴史学などにおける実証的研究は、こうした想定が非現実的であることを示しています。人間は、高度に発達した情報処理能力のおかげで、直面した状況を細かく識別することができ、そのため、状況に適応的な行動をとり、適応的な文化を創り出すことができます。文化ステレオタイプは、こうした人間の柔軟性を見落としているのです。
文化ステレオタイプの危険性は、日米貿易摩擦の結果に現れています。「集団主義的な日本人」という文化ステレオタイプは、個人主義を奉ずるアメリカ人のあいだに、日本人に対する強い敵意を呼び起こしました(「日本叩き」)。その敵意を背景に、アメリカ政府は日本製品に(場合によっては400%を越える)高い関税を課したり、輸入制限を課したりしました。その結果、日本では(半導体など)幾つもの産業が壊滅状態に陥りました。また、アメリカの「内需拡大要求」のもとで、日本政府は自律的な経済運営ができなくなり、それがバブルの発生と崩壊、金融危機、「失われた30年」と呼ばれる経済の停滞につながりました。一方、旧ユーゴスラビアやルワンダでは、「民族」に関する文化ステレオタイプが創り出され、それが大量虐殺につながりました。
こうした事例は、文化ステレオタイプを理解し、それを回避する努力がいかに重要かを如実に物語っています。
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